スポーツ農業倶楽部譚       2013年元旦
1984年に雑木山を伐採し、紆余曲折がありながらも造成し家を建てる事ができました。私が33歳で連れ合いが29歳、そして娘が5歳と3歳の年でした。屋敷の前と後ろに100坪ずつの畑を作ろうとスコップ一丁と鍬で耕したのですが、何せ粘土質の山土なのでとても大変でした。私が後年お尻の手術をするはめになったのもこの頃の無理が原因とおもっています。大変でしたけど苦労とは全く感じませんでした。畝を立て堆肥を入れて種を蒔き、草を取って追肥をしたり水をあげたりしてとても楽しい家庭菜園です。200坪で採れる野菜ですから節のものであればほぼ自給自足できるまでになりました。作る楽しさ育てる喜び収穫時の達成感、そして料理して食べる美味しさは家庭菜園ならでは味わえないことです。その後 管理機等の機材やビニールハウス等も揃え、屋敷の構えがチョットした農家風になってきました。また植木類も一緒に育て屋敷固めとしていきました。それにキノコ栽培にも挑戦し一時ホダ木400本でナメコ・ヒラタケ・ムキタケ・ヤマドリモダシそれにシイタケを栽培していた時期もありましたが、今では原発の影響もあり規模をかなり縮小して50本程のホダ木で細々と栽培しています。
2005年3月からはblogに挑戦しそれ以来すっかりはまってしまいました。テレビで放送されていた『ザ!鉄腕!DASH!!』のDASH村のパロディー風に「Datchi村のスポーツ農業」というタイトルにしたんです。どうしてスポーツがつくのかとの疑問には、農作業は主に足腰の粘りと腕の筋肉を使います。更に栽培するのに技や知識も必要で、知恵と工夫を駆使してチャレンジしますからスポーツと同じで、私はアスリートということになります(笑) blog仲間も増え情報交換や励まされもして今日に至っています。ときにはスポーツ農業に力を入れすぎ、会社とどちらが本来業務なのか「?」がつく時期もありました。どちらが楽しいか・どちらに達成感があるか・どちらが健康的か等を比較してみてもスポーツ農業に勝るものはありません。ただ自給自足とは言っても収入がないとどうしようもないので、我慢してでも60歳定年までと耐え、昨春やっと万歳三唱で退職することができました。そして情報発信を「スポーツ農業倶楽部」に変更してblogからHPに替えました。内容的には家庭菜園にこだわらず、植木職人・蕎麦打ち職人の真似ごと、それに徒然解消にボランティア活動、温泉巡りやお祭り巡りを取りあげていきます。こちらも徒然解消と言ったら罰が当たるかもしれませんが「奥州三十三観音札所巡り」もしようとおもっています。2013年の年頭にHPを淡い色調に改編してゆったりのんびり活き活きスローライフをお伝えしていきます。
2013年元旦