2012年 東北歴史博物館 古民家ボランティア日記 本文へジャンプ
   【2012.03.10】
     養成講座
養成講座一日目のカリキュラム
◇東北歴史博物館の概要
◇ボランティアのついて
◇今野家についてのガイダンス

◇管内見学 
    【2012.03.24】
     養成講座

養成講座二日目のカリキュラム
◇今野家住宅について
◇教育普及活動について
◇今野家の年中行事について
◇ボランティアの会総会
 
    【感  想】
初めて東北歴史博物館に入った印象はコンクリート打ちっぱなしで建物そのものがとにかく固いイメージ。居住感覚よりも文化財保護優先の建築様式の感じ。ただトイレだけは超高級ホテル並み。一般庶民はこんなところでは出る物もでない。 
【4月14日(土)】
ボランティア初日 講習受講時から声掛けさせていただき、仲間となった同期のYさん。仲間といっても私より8歳ほど年上の先輩。とにかくよく気がつく方で、顔に似合わずお客様対応がとても上手な方。話題豊富で人を飽きさせない。ひとつ芯の通った人柄が垣間見られた。 
     【4月21日(土)】
ボランティア二日目ともなればある程度要領的なものは掴んだ。ここはボランティア休憩室、茶道具とスケジュール表、日誌くらいしか置いていない。昼食はここで摂る
今日のチーフは70歳超えのOさん、知識豊富  親切丁寧に教えてくれます。写真右はじの方
   【四月期活動日記】
まずボランティア仲間に慣れることにつきます。見学者への説明はベテランボランティアさんにお任せして、その様子を見ながら勉強することが肝要か。21日にはウチロジの梅が咲き写真を撮る人にはシャッターを押してあげたら感謝されたりもした。
     【5月5日(土)】
ボランティアも大分こなれてきた感じがする。今日は子供の日で常設館は無料なので古民家にも300人を超える見学者が訪れた。五人体制だが説明好きな新人さんが大ハッスルで対応した。私は天気も良かったので外で中門から入る見学者を誘導したり外の建物の案内などをした。
このまっ白い花を咲かせている樹木の名が分かりません。今度聞いておきます。
(グミの木かなぁ) 
      【5月5日(土)】
ボランティアも大分こなれてきた感じがする。今日は子供の日で常設館は無料なので古民家にも300人を超える見学者が訪れた。五人体制だが説明好きな新人さんが大ハッスルで対応した。私は天気も良かったので外で中門から入る見学者を誘導したり外の建物の案内などをした。
このまっ白い花を咲かせている樹木の名が分かりません。今度聞いておきます。
(グミの木かなぁ)
     【敷居をまたぐ】
今野家の母屋にはとても広い土間と呼ばれる空間があります。この土間に入るのにこの「敷居」をまたいで入ることになります。ほとんどの子供たちはこの敷居を踏んで土間に入ってきます。さすがに大人の方たちは敷居をまたいで入ります。気のきいた親は敷居を踏んだ子供にまたいで入るように教えています。まだまだ捨てたもんではないです。
この建物は中門と呼ばれています。昔から中門のある家は身上(しんしょう)のある家だと言われてきました。身上とは財産・資産・身代(しんだい)の事です。または家の経済状態や暮らし向きを言います。要するに財力が有って裕福な家ですね。この今野家は肝いり(庄屋さん)だったそうですから中門があって当然でしょうね。中門の役目ですが、外から母屋に入るにはこの門をくぐらないとだめなような屋敷の作りになっていたそうで、防犯の役目もはたし、用途としては馬小屋や牛小屋そして物置として利用していたそうです。  
   
写真左は馬小屋で二頭飼えるように作られています。馬の出入り口にはしっかりと馬柵棒(ませ棒)と呼ばれる横棒が二本入っていますし、更に扉状の柵で塞いでいます。もちろん馬に餌を与える窓的な作りもあります。真ん中の写真は中門の扉です。日中帯は当然開きっぱなしになっていますが、夕方には防犯のため扉を閉めて人は小さい出入り口を利用するようなっています。この出入り口の作りがひと工夫されていて斜め上に引いて開けるようにできています。なぜかと言うと開けて人が通ると傾斜がありますか自動的に引き戸が滑り落ちて閉まるようになります。更に閉まった時にバジャンと音がしますから家人は誰か来たなと分かります。写真右は物置で農作業の道具とかを仕舞っていた部屋ということです。今日は宮城学院大学の学生さんが研究のために見学に来ました。女子大生相手なんでベテランボランティアさん(写真中央の方80歳)は張り切って説明していました。ユーモアたっぷりの説明で遠巻きに聞いていても楽しく微笑ましかったですね。
やはり若い見学者が来ると盛り上がります。いえいえ年配者の方も大歓迎なんですよ(笑)
 本日の来訪者117人でした。  
  
【6月23日(土)】
以前から疑問に思っていたことが解決してパッと視界が明るくなったと表現したら大袈裟でしょうね。それは 馬小屋の土の部分がお椀のように窪みがあることに"何故"だったんです。(写真左)それは子供のころから馬小屋はそういうものだとおもっていましたが、案内ボランティアをするようになってどうしても解決しなくてはならないことがらでした。馬は四六時中に立っていて、寝るのにも立ったままとおもっていましたが、やはり夜は横になるそうです。体が大きいものですから起きるときに難儀するようで、そこで窪みの傾斜の部分を利用して反動をつけながら起きるのだそうです。それに壁に張られている木材ですがソッペと呼ばれている製材した時に出る丸太の表面の丸みを帯びた部分です。馬が壁を蹴った時に壁が壊れないようにということなんですが、蹴った馬の足が傷つかないようにということで丸みを帯びた材料を使っているのだそうです。今では厚いゴムマットを張っているそうです。写真中は馬のでは入り口に掛けておく「馬柵棒」(マセボウ)です。一本で充分なんですが仔馬の出入りを制限するために二本挿しているそうです。その馬柵棒を挿しやすく尚外れないような仕掛けが写真右です。今でいうロック式なんですよねぇ。  
 
茅葺屋根の天辺にある棟(櫛)は家の顔で、建物を守る最も重要なところです。屋根の面が交わる部分を保護し、雨漏りを防ぎます。櫛を作るのはかやぶき職人にとって最も神聖とされる仕事なそうです。ここ今野家の中門は竹簾巻き(たけすまき)と呼ばれたり丸木櫛(まるきぐし)と言われたりするようです。ある資料によると家の「格」によって乗せる櫛の種類が決まっていたのだそうです。後で取り上げる母屋と便所の櫛の違いを見ればなるほどと思えます。  
     
茅葺屋根の天辺にある棟(櫛)は家の顔で、建物を守る最も重要なところです。屋根の面が交わる部分を保護し、雨漏りを防ぎます。櫛を作るのはかやぶき職人にとって最も神聖とされる仕事なそうです。ここ今野家の中門は竹簾巻き(たけすまき)と呼ばれたり丸木櫛(まるきぐし)と言われたりするようです。ある資料によると家の「格」によって乗せる櫛の種類が決まっていたのだそうです。後で取り上げる母屋と便所の櫛の違いを見ればなるほどと思えます。  
 【7月7日(土)】
昨夜から降りつついていた雨は朝になっても止まずに降っていた。今日のボランティアはチョイと気がすすまなかったが、かあちゃんが弁当を作ってくれていたので意を決して電車に乗った。案の定午前の来訪者は3人止まりで、今日の当番は5名なのに男性2人が休み女性2人と私だけでしたから話題が限られ、やはりまずったなぁと内心思った。
今回のテーマは便所と決めていたので取り上げます。最初にここ今野家の便所は当時としては立派ですし、豪華といっても過言ではないかもしれません。私が子供のころにはもっとみすぼらしくて便所に入るのが嫌でしたね。写真左の建物には便所が左右2つあります。左が当主や客人専用で右が家族や使用人が使うそうです。普通土足で入るものでしたが、ここは履物を脱ぎ草履に履き替えて入るような作りになっています。その辺からにして一般とは少し違います。
次に屋根ですが、葺き終わりの櫛(屋根の一番上)に、箱のような物が載せそこに芝土を敷き、その重さで屋根を押さえると同時に棟からの雨漏りを防ぎます。そこに乾燥に強く根張りのよい植物を植えて、補強したりします。、ここ今野家ではその中にニラを植えていますが、所によってはイチハツ、ユリ、アヤメ、菖蒲等を植え花が咲き、緑が茂りますから、庶民の知恵が生んだ「屋上緑化」の元祖ですね。このような櫛(棟)の作りを芝棟というそうです。裏には肥桶をしまっておく作りになっています(写真右)。
7月7日から「家族でお出かけ」のテーマで特別展を開いていますが、今日はセレモニーがありました。早速見に行きましたら懐かしい旧国鉄のポスターや私鉄沿線の名所案内などがずらりと展示されています。時代と共にポスターなどの作り方が変化していくのを見ただけでもなかなか面白いです。駅弁の包装紙も沢山展示されています。それに当時の切符やしおり・絵ハガキなど見ていくにつれ、ああこういうのあったなぁなんて当時を思いだしたりします。イベントとしてレールサークルの方々が展示しているミニ鉄道模型運停会もあったりして、子供と一緒に行かれてもいいですね。そのほかにボンネットバス試乗会もありますから楽しめますよ。ただし主に各週日曜日だけしか催されませんので確認してからお出かけしてください。 
      
【7月21日(土)】
 今日のボランティアは仲間にも恵まれとても楽しかった。特にドイツ人ご夫婦(奥さんは日本人)に案内する機会に恵まれ楽しい会話を1時間程させていただいた
今回は今野家のお風呂を取り上げます。鉄砲風呂と言われる物ですが、私も中学1年までこのような風呂に入っていました。風呂釜の火は写真の茶色の部分(鉄砲)で燃やして湯を沸かします。水は右下の井戸から竹樋を通って風呂桶に入るようになっています。屋根は登米町産のスレート葺きで立派なものです。写真右下端は小便をする所で杉葉を入れてハネルのを防いだり消音の為のものです。これも移築したものですが近代になってからの建物で、母屋のように江戸時代後期の建物ではないと思います。こんな小さい風呂桶に親子一緒に入ったものでしたからとても懐かしいです。
 

【8月4日(土)】
 今日も暑い一日でした。こんな日でも古民家では囲炉裏で火を焚きますからどうなる事かと心配しましたけど、さにあらず土間は涼しく快適な一日を過ごしてきました。午前は来訪者も少なく手持無沙汰でしたから、来訪者日記を読んでいました。いろいろなことが書いてあり、なるほどなぁと私が感じていなかったような事を子供たちは素直な心で感じとっているのに気づきました。
今回は木小屋のお話をしようと写真を撮ってきました。私の家にも木小屋はあったのですが、今野家のようにスレート葺きの屋根ではなく、杉皮葺きの今にも崩れそうな木小屋でした。おっと木小屋って知りませんでしたか?  昔はガスや石油がありませんでしたから何をするにも燃料に薪を燃やしたのです。その燃料の薪を入れておく建物を木小屋と呼んだのです。んんっ もう気づきましたか?  木小屋には外壁がありません。これは風通しを良くして薪を乾燥させるためなそうです。昔は薪だけではなくもみ殻や杉っ葉など燃える物は大事に木小屋に保管していたものです。燃料が無いとご飯も炊けないし、お風呂にも入れませんからねぇ。
  
【8月18日(土)】
お盆は昨日で終わりですが、今野家の盆棚は明日二十日まで吊っています。盆棚は信ずる宗教によっても地域や其々の家庭でもしきたりが違うもので正解というものはないようにおもえます。ここの古民家は旧北上町の今野家のしきたりの通りにしています。今年も今野家の方が盆棚を吊って下さったそうです。マコモを陰干しして編んだござを祭壇に敷きその上に供物をお供えします。そのマコモの葉の先を垂らすようにして編むのは、ご先祖様が楽に登れるようにとわざと垂らしているそうです。お供えする供物も決まっているようで、団子・うどん・茄子・キュウリ・スイカ・メロン等の果物などでした。それにハスの葉の上にはご飯やおかずを盛るのだそうです。珍しいことには祭壇の四隅に竹飾りをしていることです。一般的に建前やお神楽の舞台の四隅に飾りますがあくまで神道的な様式を感じさせます。もちろん仏教様式として正面に南無阿弥陀仏の札を3枚垂らしています。
まぁ 其々しきたりが違いますからそれはそれで良いのでしょうね。盆棚脇に藁で編んだ舟がありますが、送り盆に盆棚の供物等を入れて灯篭流しに使用するものなそうです。リピーターの方で今日はこの盆棚を見学に来たという方もいらっしゃいました。こういうしきたりはもう一般家庭では廃れてしまっています。これも日本の「しきたり伝統行事」としたら、ぜひとも残しておきたいなぁとつくづく感じました。。
  
.【2012年9月活動日記】
.【2012年10月活動日記】
.【2012年11月活動日記】 
石巻高等技術専門校 造園科に通学しますのでボランティア活動は休止します。
【11月24日(土)】3ヵ月ぶりのボランティアに参加してきました。
3ヵ月ぶりのボランティアに参加してきました。寒かったですよぉ〜暖を取れるのは写真右の囲炉裏の火のみです。古民家は隙間だらけで冷たい風が家の中に容赦なく入ってきます。何せ外とは障子1枚ですからねぇ。「寒いですねぇ」と言ったら昔の人はこういう環境で暮らしていたので体験の意味でもいいんじゃないなんて言われました
せっせと薪くべをしましたよ。古民家には干し大根が吊るされ、ウチロジのモミジはキレイに紅葉してとても雰囲気が良かったですね、時代劇のセットの趣です。土間の障子を開けると中はうす暗く、囲炉裏の火と障子越の明りでなんとか見えるような感じです。江戸時代の建物を忠実に再現していますから、当時の人々の暮らしの様子を伺うことができます。来訪者も少なく1日中囲炉裏にあたっていたので、顔が囲炉裏焼けしたようで赤く照りひかり、昔の人の顔立ちになってしまったようです。

【12月1日(土)】       今野家の台所  
今日は寒かったですよぉ〜 それでも古民家今野家を訪れた人は28名もいらっしゃいました。岐阜県からみえられた方もいて、囲炉裏を囲んでお互いの郷土自慢などお話してとても有意義で楽しい一日でした。見学者の質問で(特に女性)多いのが台所です。写真下が今野家の台所なんですが、床が竹で作ったスノコを敷いています。水を使うところなのでそうしたのでしょうが、足の裏が少し痛くなります。でも仕事は座ってするようになっています。尚更足が痛かったでしょうねぇ。囲炉裏は台所専用で煮炊きをしていたようですし、使用人が暖を取るのもこの囲炉裏を利用していたようです。箱のような物が在りますが、これは流し台兼料理を作るところです。水で洗ったりするのは基本的にここでは最小限にします。ではどこでとなりますが、外の井戸周りでおこなっていたそうです。料理に使う水や飲み水は水瓶に入れて使っていたそうです。わたしの子供の頃にも井戸から瓶に水を汲んで使っていました。水汲みは子供の仕事だったんですよ。現代の台所と全く違ったものですから、皆さんびっくりしていきます。 

 
  【12月22日(土)】           囲炉裏の必需品

古民家ボランティアも今年最後となりました。外回りを中心に紹介してきましたが、今月から家の中を取り上げていきます。何といってもメインは囲炉裏でしょうね。
使用目的は沢山あります。@煮炊きの炊事用A暖をとるB茅葺屋根の保護 でしょうね。
囲炉裏用グッツとして写真右下で紹介すると右から
灰ならし
灰ならしで美しく模様を描き囲炉裏を整え火元を美しく保ちます。また 美しく整えられた灰でお客様をお迎えする事は日本の豊かな文化の一つでしょうね。
五徳
自在鉤にかけられないような大鍋を使用するためのものです。また囲炉裏の火の脇に置いて保温用に鍋等を置いたりもした。
【鉄瓶
単純に湯沸かし
火箸

燃やしている薪を移動させたり、灰をならしたり、網など加熱したものを持ったり、餅を焼く時に使ったりと用途は多い。
私は言うことをきかないとこの火箸でよくお尻や頭を叩かれたものでした。

十能

囲炉裏で燃えカスの灰や炭をすくい取るために用います。
【自在鉤】
そしてメイングッツは自在鉤でしょうね。写真左下で鉄瓶を下げているのは一文字鉤と呼ばれていたそうです。
なるほど漢数字の"一"に似ているでしょ。鍋や鉄瓶の高さの位置をスライドさせて調節することができます。